映画『かがみの孤城』のラストで、アキの正体がフリースクールの先生・喜多嶋晶子だったことが明かされます。
あのときの彼女は、まるでこころのことを覚えているようにも見えました。
でも、願いが叶うと記憶はすべて消えるって、作中で言ってたはず……?

うそ、なんで覚えてるの?
ルール違反では!?
なぜ“アキ”の記憶は残っているように見えたのか?そもそもアキは、なぜ学校に行けなかったのか?
この記事では、映画では深く語られなかったアキの過去と再会の意味を、原作の描写も交えてじっくり読み解いていきます。
- アキ=喜多嶋晶子の記憶は、本当に消えた?それとも残っていた?
- アキが「学校に行けなかった」理由とは?
- 映画には映っていない、再会した“あのメンバー”とは?
『かがみの孤城』アキは記憶アリ?映画でそう見える理由
映画のラストでアキ=喜多嶋晶子とわかると、
思い出すのが物語のはじまり――こころがフリースクールを訪れたシーンです。
この場面は冒頭とラストで視点を変えて描かれ、最初はこころ目線、ラストではアキの想いが重なるような演出に。



最初はふつうの先生って思ってたのに……
ラストでグッとくるのズルい。
この“視点の変化”が、アキの記憶が「残っている?」と感じさせる理由のひとつなんです。
この出会い、ほんとは“再会”?
案内されたフリースクールの一室で、こころは一人の女性と出会います。
その人物は、のちに「アキ」として登場する喜多嶋晶子先生でした。
でも――
この時点で、こころはまだ「かがみの孤城」にも行っていません。
「アキ」も「晶子」も知らない、ほんとうに“はじめまして”の状態なんです。



ん?先生、ちょっとだけ“会いたかった感”出てない……?
こころにとっては初対面のフリースクールの先生。
でも喜多嶋先生は、まるで再会を喜ぶように、机の下でそっと“ある仕草”を見せます。
まるで、未来を知ってるみたいに
喜多嶋先生は、自己紹介のあと、机の下でそっとこころの手を握るような仕草をします。
そして心の中で、こんなふうにつぶやくのです。
「大丈夫だから、
映画『かがみの孤城』より
大人になって。こころ――」
“記憶が消えているはずの人”にしては、あまりにもこころのことを知っているような、その反応。
……そしてその直後、窓には“あの姿”が映ります。
窓に映る“アキの姿”
こころの手をそっと握ったあと、窓の反射に“アキ”の姿が映し出されます。
これは「アキ=晶子」だったと観客に明かすと同時に、
“記憶を失っているはずなのに”という違和感も残す演出です。



この反応で“忘れてます”って、ムリあるでしょ!?
ぜったい何か覚えてるよね……?
この時のアキの行動については、原作でその理由がしっかり描かれているんです。
次の章では、その描写を見ていきましょう。
『かがみの孤城』原作ではアキの記憶は消えた……だけど“まるごと消えた”わけじゃない?
映画では、まるでこころのことを覚えているように見えた喜多嶋先生(=アキ)。
でも原作では、「こころ」や「城での出来事」の記憶は、ちゃんと消えていたと描かれています。



えっ、じゃあ……
あの行動、どういうこと!?
その答えは、アキに残された“ある感触”にありました。
アキにも“善処”された記憶が残っていた?
原作のラストでは、リオンが「忘れたくない」と願ったことで、オオカミ様が少しだけ“記憶が残るよう善処”してくれます。
その結果、こころやリオンをはじめ、みんなの中に“かすかな面影”のような記憶が残っていたように描かれています。
たとえばリオンは、登校中にこころを見つけて声をかけ、こころも「水守」と書かれた名札にどこか懐かしさを感じていました。
もしかすると、アキもまた“善処”された一人だったのかもしれません。
その手がかりとなる、アキに残っていた記憶とは――?
アキに残されていた、“救い出された”という感触
映画では描かれなかった、アキの中に残る“ある感触”。
それは――記憶と呼ぶにはあいまいで、でも確かに身体と心に残るものでした。
アキは原作の終盤で、こんなふうに語ります。
腕に強い、痛みの感触が残っている。
引用元:小説『かがみの孤城』(辻村深月/ポプラ社)
それは、誰かに強く腕を引かれる記憶だ。
はっきりとした記憶じゃないけれど、「誰かに助けられた」ようなぬくもりが、アキの中にそっと残っていたんです。
あいまいな記憶が、“今度は私の番”へと変わる
アキの記憶に残っていたのは、腕を引かれる感触と、「大丈夫だよ。大人になって」という言葉。
顔も名前も思い出せないけれど、自分はかつて“誰かに助けられた”――
その実感が、彼女をそっと前へ動かし始めます。
そして今度は、自分が腕を引く番。
あの子たちを助けたいと思うようになったのです。
では、どうしてアキはあんなに追い詰められていたのか。
そして、そこからどう立ち直って、“城の仲間たち”と再会することになったのか。
ここからは、その道のりをたどっていきます。
『かがみの孤城』で明かされる、壊れた鏡と“連帯責任”のルール
アキがルールを破ったあの日、城では何が起きていたのか――少し振り返ってみましょう。
アキが姿を消し、他のメンバーは必死に探します。けれど、時間はすでに限界間近。
城には、「17時までに帰らなければオオカミに食われる」、
しかもその場にいた者も同様に罰を受けるという厳しいルールがありました。
やむを得ず、他のメンバーはアキを見つけられないまま、先に帰ろうと鏡をくぐります。
しかし次の瞬間、全員が城に引き戻され、鏡は粉々に割れ、帰る手段を失ってしまいました。
そして、クローゼットに隠れていたアキが、最初にオオカミに食べられてしまったのです。
原作でこころは、この出来事を「自殺も同然」だと受け止めていました。
誰にも頼らず、すべてを一人で終わらせようとしたアキ。
そして、その行動がまわりの人を巻き込んだ――それが「連帯責任」の意味でした。
助けなかった側にも、責任が生まれる――。
鏡のルールには、そんな厳しい現実が刻まれていたのです。
では、アキはなぜそこまで追い詰められていたのか。
次の章で、その理由に触れていきます。
『かがみの孤城』アキの過去とは?どうして限界を超えてしまったのか
仲間まで巻き込んで、ルールを破ったアキ。
その行動の裏には、どんな事情があったのでしょうか。



アキちゃん…どれだけひとりで
がんばってたんだろ。
映画では、「学校でも浮いてるし、家にも居たくない」と語っていたアキ。
でもとくに“学校でなにがあったか”は、ほとんど描かれていません。
ここからは原作をもとに、アキが限界を超えてしまった理由を、いくつかの出来事に分けて見ていきます。
部活での誤解が、居場所をなくすきっかけに
映画の中でアキは「学校で浮いてる」と語っています。
でも、あの明るくて気さくなお姉さんキャラのどこが“浮いてる”のか、ちょっと想像しにくいですよね。
実は原作では、その理由が少しだけ描かれているんです。
きっかけは、部活でのある出来事でした。
アキは、映画の印象通り、はっきりものを言える快活な性格。
でもその強さが、後輩への指導で誤解を招き、「いじめ」と受け取られてしまいます。
その結果、部活を辞めることに。
快活な性格=誰とでもうまくやれる、とは限らない
それが、学校に居場所をなくしていくきっかけとなったのです。
“顔が崩れる男”の正体とは
映画でアキが「家にも居たくない」と語った理由は、ある衝撃的なシーンに込められています。
おばあちゃんのお葬式のあと、アキのいる部屋に入ってきた男。
父親のようにも見えるその人が、無言で近づき――アキに襲いかかろうとします。
このとき男の顔には、途中からぐちゃぐちゃとしたモザイクがかかり、
アキの恐怖や拒絶の感情が、そのまま伝わってくるようでした。



モザイクみたいに崩れる顔、ぞっとした……
見たくない記憶って歪むのかも。
男の正体について映画では語られませんが、原作では母親の再婚相手(継父)とされています。
ふたりきりになるとき、アキは母のクローゼットに隠れていたこともあったそう。
映画でルールを破ってクローゼットに隠れていたのは、あの頃の習慣だったのかもしれません。
心の支えだった祖母の死
アキにとって、祖母は数少ない“理解者”でした。
彼氏を紹介したこともあり、祖母はあたたかく受け入れてくれましたが――
やさしい祖母は亡くなり、彼氏にも裏切られてしまいます。
そうしてアキは、心のよりどころをすべて失ってしまいました。
『かがみの孤城』アキのその後に“救い”はあったの?
映画では描かれなかった、アキの“その後”。
実は彼女の人生には、祖母と縁のあった人物や、未来へとつながる出会いがありました。
祖母の友人、鮫島先生との出会い
アキが鮫島先生と出会ったのは、祖母の葬式の場でした。
それまで聞いたこともなかった“祖母の友人”だという彼女は、
「何かあったらアキの面倒を見てほしい」と頼まれていたそうです。
学校にも家にも居場所がなかったアキに、鮫島先生は少し強引に手を差し伸べます。
最初は戸惑いながらも、アキは次第に心を開いていきました。
この出会いが、アキにとってもう一度学び直すきっかけとなり、やがて子どもと関わる道へ進む第一歩となっていきます。
結婚相手との出会いと、その“つながり”



アキの結婚相手ってどんな人?
まさか城のメンバーと関係あったり……する?
アキの結婚相手は、物語に登場はしていません。
でもその人物は、アキが“ある人”と再会するきっかけとなる、大切な存在でもあります。
アキの過去と未来をつなぐ、ちょっと特別な出会い。
気になる方は、この下でそっとご紹介しますね。
『かがみの孤城』アキが再会した“あの人”とは?映画で描かれなかった物語
『かがみの孤城』のラストで明かされる、アキ=喜多嶋先生という真実。
実は彼女、こころだけでなく、その後も「心の教室」を通じて何人かのメンバーと再会していたんです。
思い返してみると、記憶の中に“年齢の違う喜多嶋先生”が登場していたメンバーもいましたよね。
あれがアキだったんだ……!とラストでピンときた方も多いのではないでしょうか。
そして原作では、さらに“意外な人物”と出会っていたこともわかるんです。
まずは、アキが再会したメンバーを整理してみましょう。
メンバー | アキの年齢 | 出会った状況 |
---|---|---|
こころ | 20代後半 | 母に連れられて「心の教室」の見学に来る |
マサムネ | 30代半ば | 人づてに話を聞き、アキが家まで会いに行く |
フウカ | 40代半ば | 一人で「心の教室」を訪れる |
ウレシノ | 50歳 | 母と一緒に「心の教室」を利用 |
スバル | 不明 | ??? |
リオン | 不明 | ??? |



え…スバルとリオンのとこ、
???なの地味に気になる……
こころ、マサムネ、フウカ、ウレシノの4人は、映画でも“喜多嶋先生”として出会っていたことが描かれていましたよね。
でも原作には、それだけでは終わらない“再会”の物語が――
しかもそのきっかけは、アキの結婚相手・喜多嶋の存在が関係していたんです。
映画では描かれなかった、原作ラストだけの再会。
いったい“あの人”とは誰なのか?どんな形で出会ったのか。
このあと詳しく見ていきましょう。
※この先は、原作の結末に関する内容を含みます。
物語の真相を知る前に楽しみたい方は、電子書籍などで原作をチェックしておくのもおすすめです。
【映画にはない、もうひとつの再会の物語】をひらく
大学三年のころ。アキは「心の教室」の活動を通じて、ある病院のケースワーカー・喜多嶋と出会います。
彼は、入院中で学校に通えない子どもたちのため、「心の教室」に協力してほしいと声をかけてきました。
その病院でアキが出会ったのが、中学一年生の水守実生(ミオ)という少女。
好奇心にあふれ前向きに生きようとする実生の姿にふれながら、アキは気づきます。
学校に行けない理由は、人それぞれまったく違うんだ、と。
“自分に似た誰か”に寄り添いたかった昔の想いは、
やがて、“それぞれの事情に寄り添える人になりたい”という、より大きな願いへと変わっていきました。
アキは「学校の先生」ではなく、カウンセラーとしての道を選びます。
そして――この水守実生こそが、“オオカミ様”の実の姿だったのです。
彼女の死後、アキは弟のリオンとも再会を果たしています。



えっ、そう繋がる!?
この作品、じわじわくる余韻がすごすぎる……!
ということで、ここまでアキの過去と“その後”を見てきましたが、最後にポイントを軽くおさらいしておきましょう。
まとめ 『かがみの孤城』アキの記憶は?学校に行けない理由とその後の再会
願いを叶えると“記憶が消える”はずが、オオカミ様の“善処”でアキたちにはかすかな記憶が残されていました。
アキがルール違反に至ったのは、学校での「いじめっこ」扱いや家庭の問題、祖母との別れなど、重なった痛みがあったから。
そんな過去を越えて、今の彼女は“居場所をつくる側”になっている。
その変化が、物語の中の静かな救いになっているように感じます。
- アキの記憶はすべて消えたわけではなく、“助けられた感触”として残されていた。
- 学校に行けなかったのは、「いじめっこ扱い」などで居場所を失ってしまったから。
- 原作では、アキが“かつて城で出会った誰か”と、時を経て再びめぐり合う場面も。



忘れても、ちゃんと残ってるものがあったなんて……
沁みた……。